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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

年齢を重ねていくと

年齢を重ねていくとなんだかそれに見合った実績が欲しくなるのが普通なのかもしれない。

30代になったのだから20代の時よりはいろいろなことがウマくこなせるようになっていてほしいし
周囲を見渡せば幸せそうな家庭を築いていたり、仕事に邁進していたり、それなりの地位になっていたり、あるいは趣味で何らかの実績を積み上げているかもしれない。そうしたものを仮に持っていなかった場合、年齢が増していくにつれて「欠落」のように感じられるのかもしれない。子供がいない。家庭もない。仕事もない。周りを見渡して自分と同世代が持っているようなものを持っていない。

これは結局相対的な評価で、あいつにあるものが自分にはないことを「欠けている」と認識するからこその嫌な感じなのだろう。ただ相対的な評価で欠落を認識しているとどこまでいってもその穴が埋められることはない。まあ、平均的なレベルからいって明らかに幸福な要素が揃っているよなあ……と思える人ならばそこでそこそこの満足感が得られ、欠落感みたいなものも減るのかもしれないが。逆に言えば比べるのをやめれば自分がそこにいて、自分が満足か不満足かがそこにあるだけなので「欠落」は自分の中で完結したものになる。

なんでこんなことを考えているのかというと、もう年齢を重ねていった先にある「共通のロールモデル」みたいなものはとっくに崩壊しているのに、なんだかその欠落だけを抱えて鬱になっている人間が多いように思うからだ。仕事は長年氷河期が続き、派遣社員やフリーターといった年齢があがるごとに何の実績も積み上がっていかない立場の人間が年々増えている、結婚をし子供を産むシステムは崩壊している(自由恋愛なんてものは高いストレスがかかるもので結婚というシステムに馴染まないと思う)、誰もが趣味で高い実績を残せるわけではない。

じゃあ相対的な評価はやめましょう、人をみて自分と比べるのはやめましょうといってもそうそうやめられるものでもないわけで。完全に個人で生きていくわけにもいかないのだから、自分と誰かを比較するのはしかたがないことだと思う。じゃあどうしたらいいんだろう? 

1つには、それでもできるだけ周りの人間、特に同世代との接触をたつことだろう。別に無理じゃないと思う。でもあまり現実的ではないか。2つには、単純な話で欠落を埋める方向へ努力をしようと前向きを考えることだろうか。別にいくつになったってなんらかの手は打てる。30代で職歴なし、趣味もなし、やりたいこともなしといった状況だと仕事や趣味といった面でのリカバリは困難かもしれないが。ただ世の中には厳然とした才能格差や年齢による衰えというものがあるのであって、そういうどうにでもならないことなんていくらでもある。40代になって水泳でオリンピック金メダルはとれない。だから出来る部分について何らかの抵抗をしていくしかない、ひどく抽象的な話だが。

3つには……まだなんかあるかな? まあできるかぎり諦めるというのはあるか。その場合欠落している自分を感じ、自分には足りないものがあると感じて生きていくことになるわけであって大変だと思う。

そう、つまりあんまり根本的な解決策というのはない。基本的にはみんな2とか3を受け入れながら努力を続けるコストと諦めを受け入れて生きていくのだろうなとは思う。長年の闘争によって、死を受け入れる五段階みたいに『1.第一段階/否認と孤立、2.第二段階/怒り、3.第三段階/取り引き、4.第四段階/抑鬱、5.第五段階/受容、6.希望』苦しみながらある状態に安定していくものなのかもしれないな。

子供を産むというのは、かなりジョーカー的に人間の欠落感を埋めるように、他人をみていると思う。それはひとつには子供を育てるというのは、基本的に「間違っちゃいない」ことだろうか。自分とは全く別の、自由意志を持つ存在を生み出す、どんなプログラムにだってまだできないことをやってのけ、その存在が喜んでいるのは基本的に自分がいなければ成立しえなかったのだというのは、生きてきた意味を与えるように思う。創作者は時に、創作物は自分の子供のようなものだということをいうが、子供がいなくても代替手段として何かを創ってみるのは欠落を埋めるにはいい手段かもしれない(村上春樹はよくそういう物言いをする。彼に子供はいない)。