基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

批判をさせない方法

好きな作品を貶められるとムカムカムカーとなるものだが。
かといってそうした作品DISを止められるちゃんとした理屈はあるんだろうか。

「批判するなら見るな/読むな」というのは完全にアホみたいな理屈だし
「見てない/全部読んでいないのに批判するな」も完全にアホみたいな理屈である。

僕はこのブログではつまらなかったものはつまらなかった理由を書こうと思っているので
どっちも食らったことがある。一瞬でバカがバレる、使わない方がいい理屈トップ10だ。
クソだなあと思いながらもなんとなく最後まで見てしまうことや、
逆にクソだなあと思って途中まで読んで、
「途中まで読んだけどクソだったよ」というのはまったくありえるだろう。

他には「楽しんでいる人がいるんだから水を差すな」みたいな理屈もあるが。
「こっちはケチをつけるのを楽しんでいるんだから水を差すな」という反論がきたら
膠着状態になってしまうので有効ではない。

批判する側もエキサイトしてきて無関係な人格攻撃に移行している場合もあるので
そうした場合はまっとうに指摘できるだろう。
「こんな話を考えるなんて○○はアホ」あるいは批判自体に
おかしなところがあればそこを指摘するのもいいだろう。

他にはあんまり手は無い気がする。だいたい人間が個人であれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られる。インターネットで検索をしたり動画をみたりといった行動を自分から起こして、ダメージを喰らいに行く場合には他者への干渉許可は適用されないというのが原則だろう。

たとえば現実において道を歩いていて突然殴りかかられる。宗教の勧誘で拘束を受ける。僕はこうした場合は普通に殴り返したり不愉快を表明するだろう。だけど自分の家で誰にも迷惑のかからないようにシャドーボクシングをするのは自由だし、一日腕立て伏せを100回達成できなければ自殺して死ぬ、といった無茶苦茶な信仰を持つのは心底どうでもいいし干渉する気もない。人が何を信じようが自由だ。その信仰を人に押し付けてこない限りにおいては。

インターネットの場合、Twitterや検索、ニコニコ動画のコメント等のように「受動的に不愉快なコメントが目に入ってくる」、ことから実際はそうではないのだが「道端で殴られた」的な不愉快さを感じる、実質通り魔にあったような感覚をもたらすゆえに「批判するな」とか「取り締まれ」みたいな他者に干渉する言動をしたくなるのも理解できる。でもだいたいにおいて無理筋だろう。ただし個々の場において「批判禁止です」みたいなルールを立てるのはあり得る。