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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

楽園追放みた(ネタバレしまくり)

楽園追放-Expelled from Paradise-観てきた。

いや〜これは良かったな。お話的にはなかなかベタで、根本的なところは特にひっかかるところもなくつるつる入ってくる。もちろん設定はいろいろあって、延々とそういう設定まわりのことも喋ってるんだけど、もうそっちはぜんぜん頭に入ってこない。あーなんか喋ってるなーぐらいしかわからん。頭に入ってこないが、特に問題はない。楽園のような場所があって、そこから出ていって、思ったより楽園がひどくて、で、敵がいっぱいおそいかかってくるからどかどかどかーっとやっつけてやるぞ! っていうそれだけの骨格さえ見失わずにいればサイバースペースがどうとかの話はあんまり関係がない。

絵として良かったところに触れられればいいのだけど、僕は別段そういう方面での視聴スキルも語るスキルも持っていないので諦める。脚本の虚淵玄さんの特徴的な面倒くさい段取りだったり、アニメのお約束(ヒロインが16歳ぐらいの女の子だったりする)的なことにいちいち設定的な理屈をくっつけてくるところとか、ぜんぜん好きになれないんだけど(僕はアニメのお約束に「もっともらしい理屈付け」をしてほしいわけではなく、それがつまらないからそもそもやめて欲しいというだけだから)今回はそこまで気にならなかったな。

また僕はいくつか虚淵玄さんの小説を読んだり、アニメを見たりして「SF的な意味ではまったく素養のない作家」として評価していたから本作のお話にはまったく期待していなかった。単なるガジェットとして未来要素や状況設定を持ってくるだけで、理想的な状況をつくるための手段としてのSF要素しか扱えない人だと思っていたから。でもこれはそういう意味でも新鮮なアニメだった。ちゃんとSFっぽい話にもなるんだなあ。もちろんそれは脚本の恩恵というよりかは、絵的な部分と演出の側面が大きいのだろうと思う。組む人次第といったところなのか。あのやけにエロいスーツを延々ときて、蛍光グリーンの星をつけたキチガイ女をあんな埃っぽい街で歩きまわって周りはどう思ってんだとかいろいろ絵的な部分で謎があるが。個人的に性的ないわゆるサービスシーン、キャラクターを強調されるだけでかなり観る気がそがれるんだけど、一般的には求められているんだろう。

冒頭のサイバースペースの場面などは、ああそういえば僕はこういうシーンを小説で何度も頭の中で思い浮かべてはいたけど、そういえば映像としてあんまり見たことはなかったかもしれんなあと新鮮な気持ちになったり、絵的な表現はとても良かったと思う。ラストの大規模戦闘シーンも、あれをやるために設定も世界観もガバガバになっただけの価値があったと思う。僕は人型ロボ物それ自体が嫌いであんまり見てないから、あくまでも少数の見たアニメだけの印象で語るしかないんだけど、大規模な集団戦ってあんまり描かれないじゃないですか。1体数名とか、あるいはなんのかんの理屈をつけてタイマンとかね。

だからモデルを組んでそれをコピーで大量に機動させ、ロボが大量に編隊飛行してくる絵面っていうのはそれだけでみていて楽しいなあとどきどきしてきましたね。敵のロボ集団が大挙をなして自軍陣地に押し寄せてくる、自軍陣地には有効な戦力は自分のロボひとつと、あとは生身の人間と、トラップがたくさんと無人ロボがたくさんっていう。もうこのシチュエーションだけで最高だと思うし、いろいろと許せてしまいますね。なんで蛍光グリーンのお星様がついたキチガイをそのまま街に連れて行くんだとか、楽園側の組織体制の脆弱さと頭の悪さとかね。

いつまで肉体に縛られているのか

こっからは思ったことを書く。別に作品への批判というわけではなく。作品はエンターテイメントとしての線を律儀に守ったと思うし、その結果でしかあれはありえなかったし。

見りゃあすぐわかるのだが、ずっとサイバースペースのようなところで肉体と分離されて過ごしていた子が、地球・リアルワールドにやってきてだんだんその肉体が持っている限界とか、それ故の快楽みたいなものを知っていくような流れで、必然的にリアル・ワールド側のおっさんからは「現実って、肉体ってのもいいもんだぜ」という旨の発言が出てくるし、楽園がけっこうダメな場所であることも明かされていくし、女の子も、まあそうかもなと思いつつ、それはそれとして元いた場所に戻っていこうとするんだけど、結局肉体に戻らざるを得なくなるという。

そら見ている人間は全員肉体に縛られているんだから「肉体なんて捨てて飛び出そうぜーいぇーい! まだ肉体に入って消耗してるの?」なんて話では広く普及させたいエンターテイメントにはならないだろうというのはわかるが、いつまでエンターテイメントはそうした肉体への信奉という価値観から逃れられないんだろうなとふと思ってしまう。どう考えてもサイバースペースで肉体保有時の感覚をそのまま再現すりゃあ何にも変わりないじゃん? という当たり前の擁護すら本作ではなされないし。しかも今回の話ではサイバースペースへの反論の余地を残すためにサイバースペース社会のシステムは非常にアホくさく設定されている。この作品で一視点から批判される楽園vs現実という構図は別にサイバースペースへの批判ではなく単なる「社会システムの欠点批判」でしかないし、なぜそうした批判が成立するのかといえば元からアホくさく設定してあるからでしかないわけだ。もちろんそうした一面的な思想によって語られている作品ではないけれども、しかし別に中立ってわけでもないしな。

そもそも最初からして「馬鹿野郎、常に通信してたら居場所が丸見えだろうが」とかは正直かなりひどいと思った。どんだけ楽園側を無能に設定しているんだっていう。あの社会システムにおいて上位陣が一個人のサイバースペースでのアクセス権を自由に剥奪できる仕組みがまっとうな物として成立するわけがねえだろとか、ラグランジュ点の反対側に建設されてたから気づかないとかどんだけアホなんだ? というか、気づかないはずないだろ? 光学迷彩ってなんだよっていう。意図的にどちらかがアホにされるのは嫌いだ……がまっとうにやるとああいう「肉体もいいもんだぜ」っていう話には絶対にならないんだよなあ。エンターテイメントとしてまだ肉体もいいもんだぜっていうところに落とし込みたいのはわかるし、そうした結末をつけるためには楽園側にケチをつけなくてはならないのもわかる。そのケチをどうつけるのかというところへの疑問ですこれは。

もちろん意図的にアホに構築された社会システムの穴をついて肉体に結局戻らざるをえなくなってしまう展開も嫌いだけど、それでもエンターテイメントとしてはとても楽しめたからぜんぜんどうでもいいことではある。しかしエンターテイメントとしてつくられる以上、肉体に縛られた観客につくる以上、エンターテイメントはずっと肉体を脱出できないのか? といえばそんなこともないはずで、たとえばソードアート・オンラインだってかなりいいところまでいってるし、今やっているすべてはFになるのドラマだってあれ、ヴァーチャル・リアリティの話ですからね。「死んだら身体から飛び出せばいい、それだけのことだよ」