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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

ジャンルについてあれやこれや

ジャンルはいつ死ぬと思う……人に忘れられた時さ!! というのはあながち間違いではないのかなと思う今日この頃。

ライトノベルはひとまずおいておいて、最近SFを語ることの難しさや違和感みたいなものがあるような気がするなあと考えていて、それが妥当かどうかすらよくわからない、単なる感覚レベルの話なのでここでメモ書き程度に残しておく。どういうことかといやあ、現代SFでもいろんな作家がいるわけですよね。小川一水さんに宮内悠介さんに藤井太洋さんに円城塔さんに。さらにSFコンテストの甲斐もあって新しいSF作家もだんだん増えてきている。

そんでもっていろいろ読んでいると思うのが、これらをSFとしてくくったとして、なんか共通項が本当にあるのかってことで。いや、もちろん共通項はある。未来を舞台にしていたり宇宙を舞台にしていたりロボットを使っていたり。扱う題材すべてが一致するわけがないが、それぞれがそれぞれニアミスする部分がある。それならそれでいいじゃないかと思うかもしれないが、こうした作家たちをズラっと並べてじゃあ私が今からSFを論じますといってこれらの作家群について何かを語るとしたら何があるかなって、なんか何も思い浮かばないんですよね。

何も思い浮かばないというのとも違うなぁ……。そらテーマなんかぶちあげようと思えばいくらでもぶちあげられるわけですけど、でもそれってなんかいみあるのっていうか、無理やりでっちあげた以上の意味があるのか? というか……。ようは個々がおっているジャンルとしての分野がそれぞれ一応「SF」というくくりの中にいるように扱われてはいるものの、違いすぎてもうひとくくりにするには違和感があるっていう、そういう感覚的な話なんですよね。SF初心者に何をすすめるかなんていう話題もあったりして、考えてみるけど、そもそもSFがなんなのかわからない。もうSFが広すぎてオススメできるようなものが何もない。たとえば小川一水が好きだという人に、同じ現代SFだからといって別の作品を薦められない、というのが非常に具体的なレベルにまで落とし込んだ僕が感じている「違和感」です。

そもそも音楽にも小説にも料理にもジャンルはあるわけだが、これはたぶん作る側も消費する側も都合がいいから自然発生的に生まれるものなんだろうな。もし仮に簡単なジャンル分類すらもなかったとしたら、我々はタイトルと著者名からまずその作品についてのファーストインプレッションを得て、あらすじなりなんなりを確認してようやくああ宇宙を舞台にした話なのか、ああ殺人事件が起こるのかと把握していくことになる。非常にめんどうくさいですね。大まかなジャンル分けはぱっとみて作品傾向(謎解きがあるよー! とか、未来志向ダヨー! とかとか)を伝えるのに役に立つポインタみたいな役割を果たしているのだろう。

仮にジャンルがなくなることがあるとすれば最初に書いたように誰もが使わなくなった時、必要としなくなった時。必要とされなくなることなんてあるのかとも思うけど、たとえばスチームパンクとか虫の息状態で死にそうだし、サイバーパンクなんかは名前をすっかり聞かなくなっていたのに今楽園追放なんかがやって再度盛り上がっていたりして、いろいろあるようだ。正直僕はスチームパンクもサイバーパンクもなんのこっちゃさっぱりわからない。最近楽園追放がサイバーパンクらしいと聞いてそうなのか、これがサイバーパンクなのかと思ったぐらいだ。これは余談だった。

あるいはジャンルが成熟し、作品が増えることでジャンル作品そのものが先鋭化していく流れもあるだろうなと思うのだ。ようはA.Cクラークを読んだ人間は当然A.C.クラークと同じ作品を創ろうとは思わない。A.C.クラークを読んだ人間はさらにその先を書くか、あるいは当然クラークが書かない方面のものを書くだろう。当然だ、クラークみたいな作品を書くぐらいならクラークの作品を読めばいいのだ。つまりジャンルは成熟に向かうにつれて、より先へ、個々人それぞれの領域に踏み込んでいくだろう。研究を想像すると多少共通点があるかな。最先端の研究とかもう聞いても専門的すぎて何いってんのかさっぱりわからないし。もちろんエンタメは大多数の人間に届けるのが目的なわけで、大きく違いはある。

で、そのジャンルの先鋭化が進むと、今度は逆に大きな分類でのジャンル分けが困難になる事態も起こりえるのではなかろうか、というのが考えていたことだった。さっきも書いたように実際僕は日々レビューを書いていく中で現代SF作家と呼ばれそうな人たちをSFとひとくくりにすることに強い違和感を覚える。あまりにもそれぞれの作家が違いすぎて。ただ一方洋書のSFもけっこう読んでいるんだけど、こっちはそういう意味でジャンルのブレをあんまり感じないんだよね。変な話ではあるんだけど。あっちはあっちで今終末系のジュブナイルSFがブームで、なんかやたらと質の低い地球終末系か、もう人類の数が激減したあとの世界でひっそりと生きる人類とかが書かれるものが出ているんだけど、明確に「こういうジャンルで書くよ」と書く側が最初から決めているようなまとまりがある。それは終末系以外のSFでも同じで、コンセプトが明確とでもいえばいいのかな。でもぼくだって別に月に何十冊も読むわけじゃないし、これが正しい印象なのかどうかはわからない。

そして別に「SFというジャンルは終りを告げるのだ」という気もない。たとえば先鋭化が進むのはライトノベルだってミステリだって同じなわけだけど、ミステリはミステリで本格から日常の謎までサブジャンルが明確に打ち出されているし、ラノベはラノベでラノベ内にさらに「SF」「ファンタジー」のような本来ならジャンル分類では上部にくるはずのものがライトノベルジャンルの下部として機能している。SFはむしろそういうわかりやすく整理された、しっくりくる下部ジャンルがまだ整備されていないだけなのかもしれない。サイバーパンクとかスチームパンクとかあるやろっていうけど、Wikipedia読んでもよくわからんものがサブジャンルとして成立しているのかといえば微妙だろうと思う。

考え過ぎなのかもな、とも思うけれど。そもそも先鋭化とか何とか言っているけど、SF御三家とかいっていた時代の三人・筒井康隆・小松左京・星新一、さらには同時代のSF作家からして作風はそれぞればらっばらだったんだから、最初からまとまりなんかなかったともいえる。そして何より書き手がそこまで多くはないから、さらにその延長線上としてそもそもサブジャンルとして成立するほどの同カテゴリ小説群がなかなか生まれ得なかったなどいくらでも理由も考えつく。

そもそも僕の違和感は、僕が勝手に感じた! と思っている非常に個人的な違和感なので、別にみんな宮内悠介や小川一水や長谷敏司や藤井太洋という作家をSFだよね〜と当たり前に受容しているのかもしれない(だいたいそこまで書き手が多くないしな)。てなことを考えるために書いた。書きながら考えて、なおしていないからいろいろ整理されていないが、まあいいでしょう。