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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

アイドルマスターシンデレラガールズ 3話

異常に出来がいい。

ここ一年ぐら4〜5年ぐらいで急にアニメの質がぐっとあがったと思うのは僕の気のせいだろうか。小説や漫画やゲームといった娯楽の影響力が衰える傾向にある中(ゲームはまた違うか)、アニメは早々に海外展開の道筋もつけており今後の超少子化時代に生き残る娯楽産業として覇権的な地位を築きつつある。それは一つには翻訳の手間が一番少ないということもあるだろうが、10年以上前の「作画は崩れて当たり前」「動いてりゃあ上出来」といったところから一歩も二歩も前進しているように思う。

そんなことはどうでもいい。シンデレラガールズだ。まー素晴らしい出来だった。もちろんよく動くというのはある。でもそれは「あらゆる部分がよく出来ているうちの一点」にすぎないとも思う。あれだけ大量のキャラクターの処理、それも基本はキャラクターカードゲームからの輸入品だ。それぞれカードゲーム内で最適な効果を発揮するように異常に個性的に設定されている。だからこそそれらをそのまんま画面に出すと、リアリティラインが崩れるおそれがある。「なんでこんな異常者ばっかりなんだよ」という。

もちろん「アイドル」という特殊な立場であることも関係しているのだろうが、驚くほど見事に融合していると思う。もちろん違和感はあるが、それは致命的なところにまで至っているわけではない。ゲーム的な要素をそのまんま「これはゲームの要素だからそのまんま出すぜ?」とごろっと生身のまま出してくる艦これとは違うということだ(マイナスの意味で比較対象として出すのはよくないが……)。もちろん艦これの場合は艦これの場合で、基本的には絶対遵守すべき基本原則があった上でそれにそってああいう形になってしまっているようにも思えるから単純比較は問題だが。

しかしどのようにして違和感を消しているんだろう? たとえばにゃんにゃん言っている人間はアイドルのキャラ付けという背景情報を加味しても相当キツイはず。これについては嫉妬、不安、恐怖といったマイナス面の感情とセットになって表出されているかというのが大きいような気もするが、今後考えていきたいポイントの一つか。

3話内に限って言えば物語は基本的に前半のレッスンパートと後半の本番パートでそれぞれトーンが大きく分かれている。前半はまだ見ぬ初ステージへの希望、何が起こるのかというどきどき感に溢れている。一転後半に至っては、自分たちには本当にできるのか、無理なのではないかという不安に押しつぶされそうになる。もちろん色彩のレベルでも制御されているし、不安になっていく過程についても充分プロデューサーの懸念が積み重ねられ実っている。そういう細かい表現が重ねられた末の後半の不穏さだ。

何より良かったのはあのメイン三人の中での元気系の子(名前わからん)だろう。これまで一貫して脳天気なお調子者を演じてきた彼女が突如何も喋らなくなり、顔が暗く明らかに緊張している。最初は「どうせすぐ元気系としてのポジション的によっしゃーいくぞーとかいって他の二人を鼓舞してうまくいくんだろ」とか思ってたけど、彼女が終始絶望的なトーンを崩さなかったので良い意味で驚いた。何よりいつも元気でお調子者だと思われていた子が緊張しきっているというそれ自体が、現在進行している物事の重大さを物語っている。

わずか三話しかない中で使える材料はすべて使って状況の絶望さを演出してくることに感動した。そしてそこから力強く立ち直させる渋谷凛の強さ。ここで彼女がその重要な役割をになったのはちょっとだけ驚きだった。確かに彼女しかいないのかもしれない。でも島村卯月はそれまでアイドルになるという夢を抱いていた人間だ。いわば覚悟を決めていた人間のはずである。ほんわかとしているが、芯の強さを感じさせる描写が続いていたこともある。別にあの場面は島村卯月であったとしても問題はなかったのではないか。あそこが渋谷凛でなければならない理由はあったのだろうか。

僕にはわからない。今後の布石なのかもしれないし、たぶんゲーム的な分類ではクール? ゲームをやっていたわけではないからわからないが、クールに属していたからこそ割り当てられた役割なのかもしれない。でもとにかく絶望視不安に押しつぶされそうになっていたとしても「やるしかないのだから、やるのだ」という覚悟の伝わってくるシーンだった。当然その後のプロデューサーの外堀を埋める的な役割も重要だった。たとえばあそこでプロデューサーが何か偉そうな教訓をたれて、それがあの三人を劇的に安心させた、というシーンになっていたらどうだろうか。おそらくは基本的には受け入れられながらも「そんな簡単にうまくいくわけねえだろ」というような多少の反感を産むシーンになっていたのではないだろうか。こういう部分の処理も、完璧な作品であると思う。

あとライブシーンについて。動くのは良い。動けば動くほど良い。僕は本家のアイドルマスターをまったくみていないから、ライブシーンをみるのはほぼはじめてだけど、とにかく観客を描くのがいいですね。「ライブ」というのは当然ですけど、アイドルだけでは成り立たない。観客がいて、観客が合いの手(コールっていうのか?)を入れて、観客が光る棒をふってはじめて「ライブ」になるのだと。それをこの作品は明確にしていますね。とにかく細部まで計算が行き届いた傑作であるという他ない。素晴らしいものを見せていただきました。ありがとうございます。