基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

シンプルな生活

『ねじまき鳥クロニクル』を読み返していて思ったのだが、僕のシンプルな生活へのあこがれはこの笠原メイからきているんだろうなと思った。笠原メイは物語の中盤で主人公の目の前から姿を消し、しばらくして来た手紙のなかにはカツラ工場で一日カツラに毛を手作業で植え込み、定時であがって後は散歩をしたり本を読んだりするというただそれだけの生活が綴られていた。

笠原メイの生活の中には起きて、仕事にいき、一心一意にカツラに毛を植え込み、あとは帰るというただそれだけの生活がある。そこには税金は発生しているだろうけど深く考えなくてはいいし、人間関係も特には存在しない。ただ川が流れるように人が来て、人が去っていくだけだ。もちろんそこで相手を見つけて結婚をして、カツラ工場から去っていくのが女性にとっては一種のトレンドである。しかし笠原メイは目下のところそのようなつもりはなく、ただただ瞑想をするかのようにその日々の至極単純なルーチンの中に埋没しているようにみえる。

起きて、人間関係や税金といったことに一切悩まなくてもいい、目の前にことに注力したら特別なバグや突発的な事象も起こらずにそれが遂行され、そしてその遂行を見届けたら家に帰り別のことをする。一切例外的なパターンのはさまれず、日々することが10項目ぐらいに収まってしまい、それを延々と続ける生活がその時僕の中の理想のライフスタイルの1パターンとして刻まれることになったんだと思う。特にやることが10項目ぐらいにおさまり、そこには例外が訪れないというのがいい。知り合いは誰も訪れないし、仕事は何らかの突発的な事象によって滞ることもほとんどない。20日先の予定も40日先の予定も明確に立てることが出来て、その予定は崩れることがない。

そのような生活の中で継続的な幸福が見込めるのであればそれは一つの完成された幸せな生活というものなのではないかと思う。実際にそんな生活に十年二十年と埋没できるのか? といえばこれはまったくわからないが、一度は試してみたい生活だ。起きて、カツラに毛を植えて、家に帰って本を読んだり散歩をしたりして過ごす。誰にも会わなくてもいいし、社会的なことと多少のつながりを残しつつも、しかしほぼ断絶したまま生きていく。