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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

SHIROBAKO

SHIROBAKOは最高のアニメだった……。

全24話、アニメ業界物としてこんなものが出てきてしまったら今後5年ぐらいはもう後続は誰も出せないだろうな。業界ものとしてまるで焦土にするかのようにすべてを根こそぎ持って行ってしまった。ありえるとしたらアニメーター物とか、特定の職業にフォーカスするか、ぐらいか。ギャグ物でさえSHIROBAKOのあとでは厳しいだろう。『ハケンアニメ』とか、売れてるし、SHIROBAKOがなければアニメ化のめもあったかもしれないけどもう無理でしょうね。ドラマ化、実写映画の可能性ならありえるかな。

一話一話の完成度が異常に高く、一話見る毎に呆然としてしまうような密度。複数のストーリーラインが錯綜しながら、そのどれもが情報が積み上がっていって最後の解放感につながっていく。そしてそれぞれの職種、たとえば演出、原画、作画監督、キャラデザ、3Dに声優に音響をただ「独立した職業」として描くのではなく、お互いに影響を与え合っていく人の繋がりが一貫して描かれてきた。当然ながら宮森だけではアニメはつくれないし、原画だけでも作監だけでもつくることはできない。落ち込んだところからの回復も、ピンチを乗り越える時も、常に相互連帯によって乗り越えてきた人と人との繋がりが最初から最後までずっと描かれているのがいいよなあ。

少しでも良い物をと心がけるクリエイター、そして決めるべきところをきちっと決める彼ら彼女らの在り方は、派手さはないものの毎度物凄くかっこよく見えた。クリエイター物って、実際やってることは地味だからかっこよく描くのって難しいんだけどね。机にじっと何十時間も向き合ったりしているだけじゃあ絵にならんし。それを何人も、いろいろな描き方で達成してみせたんだからその一点だけもってしてもめちゃくちゃ凄い。もうなんか、最終話を見返すたびに気力にあてられて、脱力して何もやる気がしなくなってしまうもんなあ……。ラストの演説もながくて 最初はちょっと違和感があるなと思っていたけど、何度も見返していくうちにキチッとピースがハマったような完全さのあるスマートな台詞だと思うようになっていったし。

当然こうした作品への反論として考えられるのは「こんなのは現実じゃない」「こんなものは現実の制作現場を感動劇に仕立て上げているだけだ」とかはまず思い浮かぶ。もちろんそうなんだろう。現実には制作進行は生活していくのもやっとの低賃金で死ぬほどの過剰労働。現場はあれほど空気がよい場合は滅多になく実際はやる気のない人間もいる。実際いくつかみたし、たとえば作中でほとんどが「良い作品をつくろうと努力し、時にぶつかり合う人たち」であるのに対し一人だけ調整の面倒臭さから折衝を怠って悪者になってしまった編集者側なんかは反論するなどもあるし。

一つ当たり前の再反論として可能なのは「あのねえ、これはフィクションだよ」というものだが、業界物はそのあたりの境界線を引くのが難しい題材でもある。たとえばこのアニメを見て、SHIROBAKOで描かれているようなアニメの制作進行に憧れて入ったがあまりに労働時間が過剰で心体ともに壊してしまう──なんていうのは、世界を救っちゃう物語とは別に現実の問題として存在するものだ。アニメの製作会社が適法内で労働時間などを管理しているのならばそれもまたある程度は自己責任で処理できる範囲かもしれないが、そうでない場合がほとんどであろう。僕自身は当然これを「観念上のクリエイター物」として、摩擦のような部分は極力取っ払って魅力的に描くことに露力して見事に性向している作品だと思っている。でもそうは受け取れない人もいるだろうということ。

もちろんそうしたマイナス面まで含めてきちっと書く作品としてつくることもできただろうが、その場合はまったく違う作品になってしまう。SHIROBAKO自体は、あまり直接的にマイナス面を題材にあげることはなくても細々とそうした大変さを入れていて、意識は十分にしているのだろうと思う。特に1クール目で顕著だったけど、絵麻が昼は自宅に戻ってカレーばっかり食ってたり(カネがない)、宮森の帰宅時間が夜ばかりか、あるいは帰宅することすら描かれないとかとか。だがもちろん完璧ではないし、基本的には「フィクションはフィクションとして受け取ってね」とどこかで(この作品に限らず)見方を啓蒙していくなどの地道な作業が必要なのだろう。

イカ娘で初めて水島努監督を発見してその後監督作に一切外れがないという恐ろしい男だが、まあガルパンに続きこんだけの物を打ち立ててしまって今後の仕事にはプレッシャーがかかるだろうなあ。でもそれもきっと乗り越えていってくれることだろう。