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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

技術というのはちょっとずつ変わるもの

SFとか未来を語る! みたいな科学ノンフィクション系だとどうしても「この技術が導入されたら社会はこんなふうに~~」と最終形態が語られることが多いと思うんだけど、実際にはその中間段階がずっと長く続いて、みんなその変化が当たり前になって疑問にも思わなくなるっていうのが実際なんじゃないかなあとよく思う。

たとえば。対話型のプログラムに関して言えば、それが一番最初に効力を発揮するのはヘルプデスクなどの大量に人力動作を必要としていた部門だろう。問い合わせをシステムに任せてしまえば膨大な人間をヘルプデスク業務に割り当てる必要はなくなるし、フリーで公開されている人工無能BOTなんかをSlackで動かして遊んだりしていると対話型のプログラムはほぼ既にしてそのレベルにあると思う。

実際にはまだたいしたことなどできやしないから、せいぜい決まった質問を繰り返してあらかじめ想定されるいくつかの道筋に分散させるぐらいだけど、それでも十分に役に立ってくれる領域から技術は社会に居場所を作っていく。最初は暇人のお遊びから、次第に企業の目にとまって。そしてほとんどの人はそんなものと接触しないか、あるとき一瞬だけ接触するようになる。使われれば使われるほど洗練され、新しい利用方法も開発されていくから次第に一般の目に触れる機会も増えてくるが、それは一気に起こる変化ではない。

Pepperもおんなじようなもので、たいしたことはできないけど、たいしたことないなりにできることはあって、地道に生活の中に現れていくのだろう。そして、洗練されていく。これが如実に達成されているところといえば監視社会的な面だろうけれども、もはや殆どの人はグーグルやFacebookにメールやメッセージをみられ、検索履歴をとられ住まいを自在に特定されようがたいして気にもとめない。あるいは労働はいずれロボットにとって変わられるとする世界観も、僕の身の回りでは「ガラッと」ではないけれどもゆるゆると切り替わり続けている。

TOHOシネマズはほんの数年前まで人間に観たい時間をいって券を買っていたが今は全部システムに応答する形で買う。店員はもうフードコーナーとグッズコーナーと券をチェックするところにしかいない。近所の図書館は最近改装して、本の予約受け取りから貸出・返却まで全部システムでできるようになった。

ディストピア的な世界なり、技術の進歩した未来像なりは少数の権限者によって「ガラッと」変わるもののような気がどうしてもしてしまうけれど、今日的なリアリティでいうと「知らない間に、だんだんと、あらゆる分野で変化が浸透していて、時々問題になる」ぐらいのものになってしまっているんじゃないかというのが未来の世界を思い描くときに、最近考えていることだ。