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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

「自分の頭で考えること」と「みんなの頭で考えること」

「自分の頭で考えよう」というが、何もかもを自分の頭で考える必要もないよなと思っていて。でも確かに自分で考えないといけないこともあって、それは何かといえば「自分のこと」は基本的には「自分で考えるしかない」ということだろう。やりたいこと、やりたくないこと、抱えている不安、絶望、あるいは希望といったものを自分以上に良くわかっている人はいないんだから、自分の人生をトータルに最善な方向へプロデュースするには自分で考えるのが一番効率がいい。自分がどんな仕事について、どんな選択をして、どんな選択をしないのか。誰かに決めてもらうわけにはいかないだろう。

もちろんその判断の過程でいつだって「人が考えたこと」が紛れ込んでくる。どんな仕事がいいのかを考えるときに、調査から何から何まで自分でやる必要はない。人が考えた体験談や、あるいはこうしたらいいんじゃないかという仮説を読んで、自分で決断をくだす。だから「自分の頭で考えること」もまた正確ではなく、より正しくは「自分の頭で選択をすること」が自分の人生において舵をとる時に重要なのだろう。「自分の頭で考えること」はカヌーでいえば微調整を行いながら前へ前へと推し進めるオールを漕ぐようなもので、どこに向かうのかの決断がその上位にくる。

だからなんだ。「自分の頭で考えよう」としきりに人に言いたがる人、作品は多いが、それをいう自分は「自分の頭で考えよう」ということについて本当にちゃんと意味を考えているのかと思うのである。「自立」という言葉があるが結局のところ何から何まで自分ではできないわけで真の「自立」とはうまいこと他人の力を借りながら「舵をとる」ことができるようになることをいう(と自分の中ではしよう)。何でこんなことを考えているのかといえば、時々「自分の行き先」を他人に尋ねる人に出くわすからで、僕は正直言ってそれは凄く疑問であった。仮にだがかみさまーが天からふってきて「お前の人生の意味は残りずっと自宅のトイレ掃除を毎日欠かさないことだ」と言われたとして何の反発も抱かないんだろうか。まあ、別にそんなことはどうでもいいんだが。