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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

雑談

雑談とかいって別に僕がただ一人で文章を書いているだけだが。

なんか文章をちまちま書いて細かい文字数調整をしたり「内容に抜けはないか」「これで本当に伝わっているのか」とかいう微調整を繰り返しているとそれが非常に強いストレスになって「うがああああああああああ」っていう気分になってくるんだな。そうすると今度はいくらでもだらだらとつまらない文章を書き続けていたいという欲望がむくむくと沸き起こってくる。この文章のことだが。なので雑談というか思ったことを書き連ねていく雑記になる。

ガルパンとリアリティについて

ガルパンをみていて思ったというか、これ自体は前から考えていて何度も書いていることだが、「リアリティがない」ことは問題になるパターンと問題にならないパターンがあるということだ。で、ガルパンの例で言えば明らかに女子高生が戦車を乗り回しているのも、実弾で戦車戦をやっているのも、身体をみんな戦車の外に出しているのも「リアリティがない」んだけど、女子高生が戦車を乗り回しているおかげで可愛い女の子とかっこいい戦車を味わえるし、実弾で戦車戦をやっているから迫力の音声と映像で戦車戦を味わえるし、身体を外に出しているからこそどの戦車がどのチームなのかわかりやすくなる。

ようは「リアリティがない」ことを選択した部分はすべて何かの利益との引き換えになっているんだよね。で、その引き換えになって得られた利益がリアリティがないことによるデメリットを上回っていれば、人はそれを「面白い」というんだろう。もちろん、人によってはその「リアリティがない」部分の比重が大きくて、ガルパンを「リアリティがない」からつまらないということはあるんだと思う。そしてこうした小競り合い、リアリティがないからつまらない、いやリアリティがなくても面白いという綱引きみたいなことはどこでも起こっているんだと思うんだな。

たとえば巨大人型ロボット物を許容できるか否かは、やっぱりそこに「かっこいい」と思わないと難しいだろう。かっこいいからこそ、いかにそこにたいした理屈がなかったとしても巨大人型ロボットであることを引き受ける。バットマンがいかに客観的にみてアホみたいな格好をしていても、それがそのアホらしさを凌駕するかっこよさがあれば受ける。ライトノベルのハーレム物は明らかにリアリティがない。だが、その「リアリティのなさ」を気にしないようにすれば、願望充足的な理想状況を物語として仮定することができる。ただ、これは非常に議論を単純化した考え方で、実際「面白い」「つまらない」はそうした単なるプラスマイナスの加算減算によってのみ成立しているものではない。

ガルパンでいえば、「リアリティがない」部分は確かにリアリティがないのだが、その分戦車のディティール、音やそれぞれの特性まで含めた部分は周到に作りこまれている。ある意味では、一部のリアリティのなさを他の部分のリアリティで埋めているとも考えられる。巨大人型ロボも、基本的には実践では成立し得ないものだが、「いかにも成立しそうなデザイン」とかでリアリティを補い、成立させている(と思う。あんまり興味が無いから詳しくないけど)。こうやっていろいろ考えていくと、「リアリティがある」「リアリティがない」だから「面白い」「つまらない」という因果関係は非常に怪しいことが多いといえるだろう。

あ、ちなみにリアリティという言葉の人によっての多義性も問題で、もう少し具体的にいえば「納得感」みたいなものだと思ってもらいたい。

ダンガンロンパ3

ダンガンロンパ3、アニメにゲームにと目出度い。アニメはダンガンロンパという作品と明らかに形式があっていなかったが、今度は大丈夫なのか、ゲームはダンガンロンパ2、絶対絶望少女とほぼ理想的とも言えるスケールアップ・軸ずらしを行ってきただけに、本当に正統的な「3」を作れるのかと好きなだけに不安も様々だ。僕がいかにこのダンガンロンパというシリーズを好きかの話をしようと思ったのだが息抜きに飲んだワインが回ってきてろくに物が考えられなくなってきたのでこのあたりでやめておこう……。