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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

02/01 その漢字はひらかれるべきか

「漢字をひらきましょう」ということを意識するようになった。あまりにも漢字がぎちぎちだとやはり窮屈な印象を与えるし、ひょっとしたら可読性にも影響をあたえるかもしれない(あたえないかもしれない)。だから漢字をひらこうとは思うのだが、そこでふと「何をひらくべきなのか」「何をひらかないべきなのか」「それをどのような基準で決定すべきなのか」を考えなければいけないと迫られるのである。これはなかなか難しい。別にルールがあるわけではないから、自分で決めてやればいいわけだが、自分で決めるにしても何らかの基準は欲しいものである。

どうしたらいいんだろう? 今のところは完全に感覚でやる──のは「統一性」がなくなって困るので、いったん書き上げてから全体をみて「今回はこの漢字はひらくかな……」とばばっと全体を直す形でやっているが(雑誌原稿のみ)うーん。なんらかの統一的なルールをつくって、それをどこかにまとめておいて、あわよくば変換を自動的にそれにそろえ、もし違反していたらアラートがなるような仕組みにしたいものだ。そんなことできるエディタがあるのだろうか。

監視社会もの

監視社会ものの作品をここ最近立て続けに読んでいたのだが、結局結論がでないものが多い。たとえばグーグルに検索をゆだねると、我々はある意味ではグーグルのアルゴリズムによる検索結果に知識と自分の選択を誘導されているわけである。これがもっと拡大していけば(検索という形ではなく、たとえばよりよい人生にいたるための行動の指針をアルゴリズムに任せるなど)我々の人生は自分では「自分で決めている」という思い込みの中、実質的に他人に支配された状態になる──。

物語としては、わかりやすい事件を起こすとかの「わるいやつ」がいて、そいつを倒したらなんとなく「よかったよかった」的に終わることが多いがそれは一時的な処置であって、根本的な問題の解決ではないからそこで終わらないんだよなあ。「自分の頭で考えようね」で解決出来る問題なら、そもそも問題にならないのであって無意味な提言にすぎない。もちろんその危機事態は現実に進行しているものであって、誰も解決できていない問題なのだから「これだ!!」という解決はなかなか考えるのも難しいのだろうが。

ある意味ではグーグルなりフェイスブックなりがなくても、元々我々は他人の意見やちょっとした関わりによって自分の行動を部分的に支配されているのだからたいして変わらないんじゃない、という考えもあるかもしれない。もっともありえる形としては、「行動選択アルゴリズム事態をまず複数の選択肢から選べるようにする」あたりかな。けっきょく現実が複雑化しすぎたことによって新しい技術が必要とされているのだから、その技術をコントロールする為のあたらしい技術が出てくるのかもしれない。