基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

02/07 情報を絞る

ツイッターやフェイスブックもいずれ人は使わなくなるだろうけど、その時人は何をやっているのだろうなと考える。「誰も個人のどうでもいいつぶやきとかご飯の写真に興味をもたなくなる」というのは、ひとつの答えのようにも思うが、人間がいまの生物学的な人間である以上それは薄いような気がする。

そもそもツイッターなどを人はどのような利益を目的として使っているのか? といえば、まえにツイッター社の伝記を読んだことがあるが、複数人いる創設者の間ですらそれはわかれている。それは大まかに分ければ二つだ。1.短文でニュースや自分の意見を情報発信すること。2.大勢の人と擬似的にわいわいやって孤独を癒やすこと。Facebookの伝記もいくつか読んだけど(わすれた)あれはもともと大学生がわいわいきゃっきゃやるためのサービスなんだからツイッターとそう変わらんじゃろ。文字数がどうとか、タイムラインの仕組みがどうとかの差異はあれど。タイムラインとか文字数とかの部分でいくらでもアレンジメントが考えられるが、これらが使われなくなった時はこの仕組自体が変わっている時だろう。

ただどちらも目的としているのは「情報発信」と「孤独の癒やし」であると考えると、この仕組みを破壊するのはをもっと効率的にやれるような仕組みなんだろうな。穴があるとすれば、今のTwitterもFacebookも「人のタイムラインに流れていることだけはわかっても、ほんとうに読まれているかはわからない」という点にあるだろう。どんだけがんばってブログを更新しても読者が増えないとか、Twitterで反応が返ってこないとか、いくらでもありえるわけで、多少の「簡単なコミュニケーション」は容易であり擬似的なわいわいさは達成されているけれど実質的なわいわいさとはまた異なる。

これを実質的なわいわいさに近づけるのは果たして利益なんだろうか? わからんなあ。僕はでもこの最終形は「人間だか人間でないのか発信者側からはわからないAIとの対話や対戦」になると思うけどね。たとえばAIだったら深夜二時だろうが三時だろうが、二〇時間でも三〇時間でも愚痴に付き合ってくれるわけだ。「つらいつらい」といったって、それが最初のツラさの吐露であれば最初はみんながかまってくれるが二日も三日も言ってればだんだん周囲も面倒臭がって相手をしてくれなくなってしまう。

AIならその相手をいくらでもしてくれる。それによって人間の孤独はかなり癒やされるだろう。承認欲求を求めるのが人間だというのなら、その承認欲求を満たす効率的なシステムが出てくるのは当然だ。今もその仕組はたくさんあるが、結局のところ承認を与えてくれるのは「生身の人間でなければならない」というのがネックになっている。わからないのは「AIだとわかっていてもそこに癒やしを感じるのか」という部分だ。石黒さんの研究やロボット演劇から「たとえそれがロボットであったとしてもそこに人は心を感じる」ことは充分にわかっているから、「人間なのか人間でないのか発信者側からはわからない」AIという条件付けの部分は必要ないのかもしれない。