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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

0210 ジャンルの話

ジャンル定義の話をツイッターで最近見かけることが多い。

異世界ファンタジーとはなんぞやとか、ハードSFとはなんぞやとかである。これは結局のところ使う人によって大きくブレのある単語なので、そういう話が出てくるのはそういうもんだとしか言いようがない。場合によってはそうしたジャンル定義の言葉は使わないほうがいいだろうし、使いようによってはちゃんとした効果を発揮してくれる場合もあるだろう。

たとえば、僕は「ハードSF」はできるかぎり科学的に正確であろうとした作品に使うことが多い。最近だと『火星の人』とか、イーガンの『クロックワーク・ロケット』なんかである。しかしこれらはもちろん「100パーセント全て正確な話」ではない。であれば「何パーセント科学に正確な話ならハードSFと呼称するのか」みたいな話になってくる。これは面倒くさいし、たとえば「じゃあ70パーセント正確なものをハードSFとしましょう」といったら今度は「じゃあそれはどうやって測定するんだ」とか「70%の根拠はなんだ」とか面倒くさい話になってくる。だから、結局のところハードSFだろうがなんだろうが分類には「濃淡がある」ということだろう。

ジャンルを(特にファンタジー下部に存在する異世界ファンタジーとかのより限定したやり方は)つけるのは、人に説明するときの簡便さが得られるというのはある。「この作品はこのぶぶんが科学的に正確だよね、ここは違うけど」という具体的な話はまだるっこしいので、場合によってはそういう場所は飛ばされて「この作品はハードSFなんだよ」と簡略化してキャッチコピー付けしてしまうのである。そういうのは、SFマガジンのような「ジャンル・フィクションを専門的に読んでいる人」向けにはある程度共通理解があるので、使ったほうが都合がいい(説明を簡略化できるから)ので使ってしまう。

逆に、こういうブログにハードSFという言葉を登場させるのであれば、それは当然「ハードSFとはこういう意味でね」と前置きをするだろう。異世界ファンタジーなどの話も同義であるように思う。けっきょく、それが使われるのは「簡略化」のためであり、それは共通理解を持っている人たちへ向けては便利に使ってもまあいいし、共通理解を持っていない人たちへと使うのであればきちんとした説明を要するだろうと。ただ今回の話でいえば、意外と共通理解といえるほどそうしたジャンル・定義は専門的な読者であっても共通されていないっぽいよね、という話であろう。

そういう場合に、みんなわかってねえなあ、こういうのだよと地道に布教、ある程度の普遍化をはかるべきなのか、はたまたそんなのはたとえ業界内部の人間であってもブレが出るのはしょうがないじゃんねといってそうした共通理解の少ないジャンル・定義は使わないほうが良いのかは、悩みどころではある。あるいは、そうした単語を使う時は「自分はこういう範囲をこの言葉に含めてますよ」と断り書きを入れるか。断り書きを入れると利益がかなり失われるので微妙な場合もあるだろうが、いい場合もある。

前号のSFマガジンを読んでいたら、「オデッセイ」レビューで宇宙機エンジニアの野田さんが『私の場合"ハードSF"とは、テーマが、人間ドラマとか精神論ではなく、科学や技術を駆使して作中の問題解決に当たっているものを指す。』といっていて、なるほどそういうハードSFの使い方もあるかと思ったものだ。この場合、「私の場合〜」の説明が抜けていたら読んだ人ごとにかなりごっちゃな作品評になっていただろう。

まあ、適宜最適だと思う使い方をするほかあるまい。それにしてもこういうのはけっこう複雑で面倒な話題なので僕は(140文字しかつかえないから)Twitterでは絶対に触れたくないのだが、みな言葉を凝縮させてなんとかTwitterでわいわいやっているのがはたからみているとえらく怖い。