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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

能動的な引き出し方について

いろんなウェブ小説を読み漁っているところなのだが、超人気作であってもけっこう粗がある。粗とはいっても誤字脱字とかではなく、展開的に流れを阻害していたり、あるいは○○篇というようなそこそこ長い部分であってもいろいろな目論見がうまく機能していないように見える部分であったりという感じである。万人がそこを粗と感じるかどうかは別としても。

で、そういうのを書籍化されているものと読み比べしてみると、やっぱり直ってるんだよね。編集の力によるものか、いったん書き上げた作者が冷静になって整えなおしたのかわからないけれども、そういう意味では書籍版のほうがそうした「粗」といえる部分は直っていることが多いように思う。物理的なパッケージに縛られないウェブ小説を一冊という区切りのあるフォーマットに仕立てなおしていく上で明らかな失敗がみられる作品もある。だが、それは今回の話とは別としていったん脇においておこう。

じゃあ、基本的にはウェブ版より書籍版を読んだほうがいいのか、といえばどうだろうかという気もするのである。たしかに、「ああ、ここは粗だな」とか「うまくいってないな」と明らかに感じる部分はあるにはあるのではあるが、でも「能動的に楽しもう」としている限りでは粗は補填しえるところがある。たとえば、「映画を干渉した」と誤字っていたら、「ああ、映画を鑑賞したと書きたかったんだな」と脳内で補完できるように、多少の展開の粗や中だるみであれば、能動的に「良い方向へ」補正しながら読み進めることができる。根本的に駄目な作品を能動的に「良い方向へ」解釈するのには限界があるが、一定の「読ませる」水準をクリアしているのであれば、能動的に楽しむ姿勢があればたいした問題にはならないのではないだろうか。

で、これはあくまでも「補完」だとしたらもっと積極的に作品の価値を勝手に増してしまう読み手独自の引き出し方もあって──と話はつながっていくのだが、これはまあ、まだ考えの種みたいなものなので、そのうちもう少し発展させてみよう。