基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

わかりにくい場所にとどまる

「わかりやすいもの」はわかりやすいがゆえに人を惹きつけるが、わかりやすいもののにいることで得られる価値とわかりにくいもののなかにいることで得られる価値は全く別物であることが多く、後者の価値をあえて選択することの意味みたいなものはあらためて個々人が自分で自分に問わなければいけないのではないかという気がする。

かなり抽象的な話なので一応具体例をあげておくと、たとえば「わかりやすいもの」はページビューである。来訪者が数値化され、数が多ければ多いほどいいように一般的には思われている。もちろんんそんなことはない。100万のPVがあったとして、そのうちのほとんどはその人間をバカにする為に来ているかもしれないのだ。とはいえPVが金に変えられることもまた事実であり、ある種の「価値」ではあるのだろう何より数値化されるそれは圧倒的にわかりやすい。

一方でページビューと対比される「わかりにくいもの」とはなんだろうかといえば、それはたとえば「読んでもらえただけで嬉しい、たった一人」のアクセスであるといえるかもしれない。何千、何万人に読まれなくても良い。ただ一人に読んでもらえれば──あるいは、その一人に深く響くものであればいい。これは、時と場合によっては「わかる」こともある。たとえばその人から感想がくるとかによって。でも、多くの場合それはわからないものだ。たとえそれを読んで人知れず人生を救われたものがいたとしても、それはアクセス解析には反映されない情報なのだから。でも、ここにも間違いなく価値はある。

僕は何も後者を目指せと言っているわけではないが、「わかりやすさ」をわかりやすいからという理由で目指していると後者のことを忘れちゃうんじゃないかって思うんだよね。僕自身は特に意識してそうしようと思ったというよりかは、自然と後者の方を向いてきたように思う。何年も後者の中にあろうとすると、ある時ふっと「わかる」時がくるのだ。最近ようやくそれが実感できた。