基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

続・シナリオのコスト

ちょっと前にシナリオのコストという記事を書いたが、要約すれば「絵をつけるコストに比べればシナリオを直すコストの方がずっと安いのだから、工程からいえばシナリオを盤石のものにしてから絵に進むべきで、それなのにアニメでもゲームでも「シナリオがいいのに絵が(プログラムが)ダメだ、という作品」よりも「絵がいいのにシナリオがヒドイ」という作品の方が多いように見えるのはなぜなんだろう? という疑問が言いたかったのであった。

それとはまったく無関係にユリイカの魔法少女まどか☆マギカ特集号を読んでいたら、虚淵玄さんと田中ロミオさんが対談していて、そこでアニメの脚本の進め方が語られていて「ああなるほどなあ」と思う部分があった。ようはアニメ脚本家はライターから半歩以上踏み出した、監督へのインタビュアーのそれに近いと。監督の撮りたい映像があって、それをみんなが支えていく。

いかに人とうまくやるのか、単にうまくやるだけじゃなくて、相手が抱いているイメージを察してそれを実現するように書くというプラスアルファが必要なんだと。だからこそ重要なのは現場をどれだけ理解しているかで、アニメの制作進行の人が脚本家になる──なんてことが起こる。話そのものに問題がなくても30分以内に収まらない、予算が厳しいとかそういう事情によってもリテイクがきて、ようは「調整の世界」なんだと。でもまどか☆マギカは例外的にそうした合議制をとらずに、「全然アニメを知らない人間に書かせて突飛なものが上がってきたのを絵に起こせればそれは新しい映像になるだろう」と放置されていたようだ。

もちろんここで語られているのが全ての現場で行われているわけではないだろうが(実際まどマギは違うやり方をとったわけだし)、「そんなやり方でやってたらまともな脚本にするのは難しいだろうな」と思わないわけにはいかなかったなあ。