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基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

Web 胎界主がおもしろかった

www.taikaisyu.com
Web漫画の胎界主がかなりおもしろい漫画であった。

もうすぐ二部が完結するのでがっつりと「基本読書」の方で書こうかなとも思ったが、胎界主自体膨大な分量なので感想を書くにしても裏をとったりするのに時間と手間がかかるのもあって微妙でためらっている(僕は相当遅れてきた読者で紹介も何もないし)。あとで書くにしろ書かないにしろ、参考にできるように裏取りなどは特にしない初見感想みたいなものはここでざっと書いてしまおう。

生体金庫戦というのが傑作だというから、せめてそこまでは読もうと思って読み始めたのだが、だいぶ読み進めた後にその生体金庫戦は現在最新エピソードの一つ手前のものであることに気がついた。たしかに生体金庫戦は傑作といっていい内容なのだが、そこにたどり着くまでには結構な分量を読まないといけないことを後に知ったのはしょうじき助かった。

何しろ序盤はえらく読みにくいのだ。Web漫画だから右から読むべきか左から読むべきかわからない上に、通常のページサイズとは異なるのでコマ割りがやけに複雑である。設定もわかりやすいわけではなく、独特な世界観が読み進める毎に断片的に明らかになっていく。主人公は主体的な存在ではなく完全な巻き込まれ型で、キャラがつかみにくい──が、第一部の後半あたりからコマ数が減って驚くほど読みやすくなり、それにともなって世界の有り様も把握されてきて俄然おもしろくなってくる。

第一部を読み終える頃には「なかなかおもしろいなあ」という感想で、第二部を読み始めると「生体金庫戦」とそれ以後のクライマックスへと向けた「大きな流れ」が提示されそこまでいくともう完全にハマってしまっている。なのでもし読んだことがなく興味があるのであれば、せめて第二部のはじめぐらいまでは読んでみるといいだろう。

分類としてはある種の能力バトルというか、異世界ファンタジーに分類できる。超人的な能力を発揮する者達がおり、人間、悪魔、魔王、バンシー、妖精、神獣、ヴァンパイアなどなど無数の種族と勢力が入り乱れそれぞれの主導権をめぐって争ったり支配下におかれたりしている。第一部時点ではその大きな流れは見えづらかったが、第二部以後「ピュア」という大きな力と目的を持つ存在によって主人公であるところの稀男くんらが嫌でも巻き込まれていくのがおもしろい。

おもしろいところはいくつもあるのだが、あえて一つあげるならば「メタい」ところかもしれない。そこがおもしろいというか、そこを起点としていろいろ広がっていくのだ。たとえば稀男ともう一人の主人公であるといえるピュアが持っている特別な力は「運ぶ力」といって確率コントロール能力(サイコロをすべて任意の数を出したり)である。

この能力ってようは「無数の選択肢の中から、自分の望むあらすじを選び取っていく者」ってこととほとんど同義なんだよね。確率操作でおおまかに運命をコントロールできるんだから。つまるところ、この世界における「運ぶ力」の持ち主っていうのは一種のストーリーテラーでもある。それは作中にも認識している者がいる。たとえばピュアの近くにいる側近で自覚的な人間の一人は「自分がピュアの描くストーリーの中で重要な立ち位置をになっているうちは、自分はまだ死ぬことはないはず」と非常に「自分は物語の中の一登場人物である」というメタ的な思考をして戦略を練っているんだよね。

その力をピュアと稀男のどちらかしか持っていないのであれば擬似的な「作者」のように振る舞えるのかもしれないが、そうではない。同じ力を持っている稀男とピュアの場合は、いわば「どちらがストーリーの主導権をにぎるのか」というメタな書き換え合戦を行っているともいえる。これをおもしろくしているのは、稀男やピュアであっても蓋然性のからまない事態=必然的に発生する事態は絶対に書き換えようがないってことであって、つまりふたりとも事象を絶対的に思い通りにすることができるわけではない。

彼らはどちらも勝利が確約された単純な主人公ではないからこそ、稀男も自分の目的を達成するために必死だし、事実上のラスボスのようになっているピュアもまたそれ以上に必死である。彼ら以外の登場人物もまた、自身がストーリーの中の脇役でしかないことに自覚的であったり、あるいは「描かれたストーリーの中心人物=主人公である」ことに気がついて必死になっていく。「登場人物一人一人が主役級であること」というのは優れたキャラ構築の一例であるが、メタ的に登場人物自身にそれを言わせること=自分は主人公だ、でよりキャラが立っていく。

それがもっとも表出するのが生体金庫戦で、これはいってみれば「ゴジラみたいなすごい巨大な異世界生物と、異世界群体が真っ向からぶつかり合う話」というだけの話である。無数の異世界群体が、さまざまな手管を使って生体金庫に攻撃を仕掛けるのだが、圧倒的な能力差によって(硬い、でかい、再生能力がある、攻撃への耐性獲得能力がある、当たっただけで即死さえる広範囲マップ攻撃がある、それも何度も使える)全軍が壊滅状態へと追い込まれていく。ガンガンと勢力が死滅していく「巨大生物に蹂躙されていく描写」は綿密でそれをみていくだけで死ぬほどおもしろい。

「胎界主」という作品からすれば脇役にすぎない無数の登場人物たちが、死にたくない、あるいは自身の目的のために命を賭して生体金庫攻略に向かっていく、その中で彼らは紛うことなく「ピュアがストーリーメイクした作中作」での主役である。この話のおもしろいところは「胎界主」の主人公サイドであるピュアと稀男は戦闘に直接的には関与していないことで、「生体金庫が倒せようが倒せなかろうが、物語の行末が変わるだけで終わるわけではない」ことが明確になっていること=生体金庫戦の結末が読めないところ にある。たとえ失敗してもピュアは「ああ、失敗してしまったな」といって次の手をうことがわかっているだけに、常に「こいつらは本当に滅亡するかもしれない」という緊張感があるのだ。

まとめると、「運ぶ力」という蓋然性操作能力と、ここでは説明してないけど原典と翻訳という世界の根本構造そのものがこの世界をメタ的にし、それが故に登場人物は「自分が登場人物である、ストーリーの流れの中にいること」に自覚的となり、みながみな「自分こそが物語を創り上げていくのだ」と主体的な行動を起こしていく。生体金庫戦もおもしろかったが、生体金庫戦後にはまったく別種の戦いがはじまり、そこでは生体金庫戦でメインの役割を果たした者達は「役割を終えたもの」として登場人物自身が自覚的に物語から退場していく。ただ単にメタなだけでなく、世界の根本構造それ自体が、作品に対してメタであることを要請していることからくる「必然的なメタフィクション」のおもしろさがこの胎界主にはある。

ざっくりと書いただけだからかなり粗と間違いがありそうだけど叩き台としてはこんなもんで。原典と翻訳の話までしてるとごちゃごちゃして長くなるしね。