基本ライトノベル

ライトノベルについて書くブログだったはずだけど日記のブログだよ

言論空間と本心空間

言論空間と本心空間はずっと乖離していくのだろうかと思うことがある。

たとえばブラック経営者が「残業代なんか払ってたら事業が成り立たねえよ」と思っていたとして、今それを公で発言するのはほぼ無理だろう。女性は産む機械だなんだといって燃え上がった人もいたし、燃え上がったからもう同じことは誰もがいわなくなったが、かといって本心がそれで変わることもないだろう。ようは言論空間は公正さ、偏見の排除を要請する(いわゆるポリティカル・コレクトネス的な部分も抱合し)一方で(もちろん言動だけじゃなく態度にも現れるだろうが)本心はずっと抑圧された状態になるのだろう。

そしてそうなった場合ある日言論空間的には言語道断な態度であっても本心空間を刺激してくれるこれまで築き上げてきた言論空間を破壊してくれる言論が出てきた時に意外ところっと転がるものなのだろうか、とかいろいろ考えたりする。というより、今回の結果をみると意外と転がってしまうものなんだなと思った。ただ生まれたときから言論空間が一貫していれば本心空間もそれにそって行くような気もするし、移行期特有の現象かもしれない。

言論空間での正しさ、公平さと本心空間との乖離は埋めようがないものなのだろうか。埋めようがなかったのだとしても、それは基本的には表出されるべきでは無いような気がするが、そうでもないのだろうか。よくわらかないなあ